その14「へそまがりが素直になる」

今年最後の個展を高知で終え、久しぶりにあるギャラリーに行ってみたらばったりと伊勢崎淳さんにあった。
伊勢崎先生は今年人間国宝になられた。備前の作家では五人目だ。
今から二十年ほど前、僕がまだ大学院生のころにお世話になったので今でも「先生」とよんでしまう。
いきなり「煙草は止めた方がええなぁ」と言われてしまった。僕は自他共に認めるへそまがりなので多分煙草は止めないが少なくとも伊勢崎先生に言われるとへそはまがらないし、むしろ嬉しい。
思えばあの頃、先生はまだ四十代だった。すごい勢いで新しい備前の作品を作り、発表していた。そんな時期に教えて頂けたのはまったく幸運だった。しかし先生は実は何も教えない。
大学に来ても学生には勝手にさせておいて三階の院生部屋に来てはコーヒーを飲んだり、しゃべったり、碁を打ったりしていた。教えないということでは仕事場でも同じだったようで当時内弟子として修行中だった隠崎隆一氏などからもそう聞いていた。
だが伊勢崎門下からはきら星のごとくスター作家が生まれている。技術は盗むもの、学ぶべきはその「姿勢」なのだろう。人間国宝とは、その文化を頂点まで極め、なおかつそれを次の世代に教え、広めていく荷を担った人ということらしい。
備前には他にもすごい仕事をしている作家が何人かおられるが、いわゆる「育てる」ということにおいて先生が群を抜いていたというのが今回の選出の理由の一つではないか。教えない先生が多くの才能を育てたということ、それは先生の作家としての姿が若者の導火線に火をつける力を持っていたということだと思う。
院生部屋で先生がされる話にはどきどきした。何気ない話題の中に交遊のあったサム・フランシス、池田満寿夫らの名前が出るだけでポーッとなった。威張るでなく照れるでなく、今面白いと思っていることを僕らのような馬の骨や馬の耳に惜しげなく語ってくださった。
先生は二度辛い入院生活を経験している。一度は目の手術、もう一度は心臓の手術。先日お目にかかった時もその心臓手術後のことをしみじみと振り返って言われた。
「初めてベッドから起きあがり、ゆっくりと病院の廊下を歩けた時、ああ、これでもう少し仕事ができる、と思ったよ」
僕は己を恥じた。曲がったへそまでが真っ直ぐになって、うなだれた。だが先生から仕事についてこんな話を聞いたこともある。
「弟子がいていいことはただ一つ。それは弟子の目があるから嫌でも朝ちゃんと起きて仕事場に入らんといかんということ、これだけじゃな」
なんだかこの二つのコメントは矛盾しているように聞こえる。だけどこれはよくわかる。仕事はしなければいけない、だが忙しい時ほど怠けてやろうかと崩れかかる。でも、それでも一番したいことはやっぱり仕事、なのだ。さあ、一つだけ選べと言われたら、仕事なのだ。
仕事のことでやれ忙しいだの、儲からんだの、疲れただのとごにょごにょ言っている輩がいたらこの話をして一喝してやるべし。
おっと、僕ですか?

 

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