その15「僕のタマシイ」

「今回の作品は魂が入ってるんでしょうねぇ え?」
いつものようによじれたポーズで野田君が聞いた。やっかましいわい!と言いそうになってかろうじて思いとどまる。
その日は野田君の「アルツハイマーのお袋との800日」という本が時事通信社から出版されたお目出度い日だったからで、彼の言う今回の作品とは1月20日から岡山のギャラリーやぶきで始まる僕の個展のことだ。
野田君にとって魂という言葉はなにやら特別な意味と重みを持った言葉らしい。例えば根性とか本気とか男気とか真実とか、まあその手の言葉を野田君的に乱暴に一言で言うと「魂が入ってる」ということになる。グロスカウンターの向こうでは魂を抜かれたような顔つきでKがコップを洗っている。
僕は今までたぶん100回ぐらい個展をやっている。初めての個展は今から20年近く前、まだ大学院の学生だった。右も左もわからぬままとにかく作りためた作品をギャラリーに持ち込んで「矢野太昭古代ガラス作品展」をやらせてもらった。その時驚いたのは来たお客さんがみんな「おめでとう」と言ってくれたことで、なかにはうやうやしくのし袋に入ったお祝いを渡してくれた方もいた。僕としてはまだ学生の身分でありながら自分の拙い作品に値段をつけて個展をやるということにいくらかの後ろめたさこそ感じてはいてもとてもおめでたいなんて言ってもらえることではないと思っていた。
結果は完売だった。なぜ売れたのかはいまさら考えてもしかたがないがきっと優しい皆々様の励ましとご祝儀であったのだろう。あの時の恥ずかしい作品を買って下さった方には僕は一生分の借りを作った。その中にはコレクターも先輩作家もちょっとした知り合いも見ず知らずの方もいた。
最初に買ってくれたのはよく行っていた飲み屋のマスターだった。DMを渡した時にその写真の作品を「これは僕がもらうよ」と言ってくれた。今でも僕はその時のこと、それらの人々のことを思い出す。夢ある若者といえば聞こえがいいがただの厚かましい無謀な脳天気野郎を受け入れ、励まし、買うという行為ではっきりと肯定してくれたあの人達。だから僕がその時のことを思い出すということはものすごく恥ずかしいことでもある。「アチチチチ」と言って暴れながらどこかに逃げだしたくなることでもある。個展を前にした不安の気分は今でも同じだし買ってもらえた時の手放しの嬉しさは何も変わってないけれどやはり最初の個展の記憶は特別なのだ。
だから僕にもし「魂」というやつがあるとしたらそれはあの時の有り難さと恥ずかしさとが源にある。日頃は胃なんてどこにあるか気にもしないのに痛くなると「ああ、ここに胃があるんだなぁ」と意識するように僕にはやはり痛みによってしか自分の魂の在処を知ることができない。
きっと野田君にも同じような人に言えない恥ずかしくてきゅんとなる記憶があるんだろう。だからあんなに無意味に「魂」とやらにこだわるんじゃないだろうか。
もう誰も個展に来て「おめでとう」とは言ってくれなくなったが僕をまっとうな人間にしてやろうと思われる方がいたなら是非作品を買って下さい。そうすれば僕はたちどころに素直になれます。あなたに一生の恩を覚え、決して忘れることも裏切ることもありません。
岡山は遠いなぁと言われる方、近々東京でも静岡でもやります。お問い合わせはグロスマスターKまで。

 

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