その18「2005 春 ある青年の旅立ち」

グロスのお客さんは実に多種多様だ。乱暴な話だが収入の幅だって半端じゃない。
気まぐれにどちらを向こうが追い風の雲上のリッチマンから、不思議なほどどちらを向いても向かい風に息も絶え絶え、ぬかるみに首までめり込んだ清貧野郎まで、ありとあらゆる階層が取りそろえてある。僕はもちろんめりこみ派の幹事長あたりである。
文系エリートの弁護士先生が多いのは前にも書いたが理系エリートの代表であるお医者さんも多い。その中にI君という青年がいた。正確に言うならI君はこの四月からドクターになる医学生だった。
超難関の岡山大学医学部にストレートで合格し、中身のぎっちりむっちり詰まった6年間を岡山で過ごし、この四月青年医師として九州に赴任した。
彼はどこでどう迷い込んだか、あるいは導かれたか、故郷の京都を離れてまもなくグロスに出入りするようになり、やがてグロスカウンターになくてはならない存在になった。
グロスの常連客達はみんなI君が大好きだった。これは誇張でもお世辞でもない。彼のように真っ直ぐで優秀で暖かく面白みのある青年を見たら何か訳もなく救われた気分になるものだ。彼が愛用の自転車を降りてグロスのドアを開けると、ほんわか甘く清々しい空気が流れ込んできた。
『ああ、人生とは、青春とはかくありたいもんだなぁ・・・』と思ってしまう。
I君は医学生であると同時にグロス文化を誰より積極的に吸収した。常連のプロカメラマンH氏からは暗室技術などの写真を学び、グロスで開講されている大倉流小鼓、銅版画などをも学んできた。
もちろんそればかりでなく多くの常連客の様々な世間話からこの社会の生々しい生活を見聞してきたようだ。というより、みんな彼と話をしたがった。それはI君が素晴らしい聞き手だからで、これは天分のものかも知れない。話したがりは多いが聞き上手はまことに少ない。いくら素直に聞いてくれる相手でもただ頷かれるだけでは話したがりは面白くない。I君の天分とはやはり理解力なんだろう。頭がいいとは素晴らしい。他人をいい気分にさせてくれる頭の良さは本当に稀なものだ。
常連の中で最も若いI君だったが彼の占めていた位置は彼のものでしかなかった。貴重な聞き手を失った話したがりは途方にくれるだろう。息子ほどの歳のI君に僕達は実は随分救われていた。
彼は卒業を前に初めての写真の個展をグロスで開いたが、その最終日に医師国家試験の発表をグロスのコンピューターで見るという最後のイベントを僕達にプレゼントしてくれた。3月30日午後2時、グロスマスターKが厚生労働省のホームページにアクセスし、合格者の番号がモニター上に現れた。I君の番号はそこに無事あった。友人や母上に囲まれて拍手歓声で喜びを分かち合っている姿は例えようもなく美しく輝いていた。僕もKも嬉しかった。そしてまぶしく、少し寂しかった。
誰もが彼のような息子を欲しいに違いない。だが所有は同時に失う不安を含んでいる。僕達は美しいものも愛しいものも本当は所有できない。I君の残したはんなりとした青年の香りはそのことを改めて教えてくれた。
Kよ、今日はうんと苦いコーヒーをいれてくれ。

 

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