その26「ある雨上がりのシュールなひととき」 2006/7.16

「ワレワレが死ぬとして、その死因はなんだろうねぇ」
助手席のMさんはフロントグラス越しに町工場の建ち並ぶ殺風景な街並みを見ながらボソリと言った。
梅雨のまっただ中、朝方降った雨の水溜まりがかなり深く、できるだけそれを避けながら僕は町の中心部を目指して運転していた。
Mさんの話し方はいつもこんな調子だ。冗談と本気の境界線が、ない。Mさんは僕より七つ年上だがそのことはいつも無視して「ワレワレ」と言って僕を一緒くたにする。
Mさんはコアガラスという古代ガラスの一技法において世界一の作家だ。何本の指に入る、とか世界有数とかじゃなく、間違いなく「世界一」。二千年前に滅びた技法を現代に復活させ、それを当時最高に熟していたエジプトのレベルから遙かに高く引き上げ、今も独走している。その活動は日本にとどまらずアメリカでも「日本の宝」と呼ばれている。でも、すっとぼけている。
僕は人間離れした方向音痴なので、人を乗せて車を運転しているとそれだけでかなり緊張する。だから助手席で誰が何を言おうとあまり聞いていない。耳には入っているし、一応頭にも入っていると思うのだけれど「はぁ」とか「へぇ」とか「ほぉ」とか、そんな受け答えしかできない。そんなことにはお構いなく、Mさんは妙な間をおいて「運動不足、かな」と自答して嬉しそうに笑っている。運動不足なんて死因があったっけ?と僕もぼんやり考えている。
その日は前回も書いた「Kさんを偲ぶ会」があり、終わってMさんを丸善まで送っていくところだった。昨年末亡くなったKさんは居酒屋チェーンを経営していた頃、どこの馬の骨ともわからぬ若い人に店のデザインをさせるのが好きだった。その初代がMさんで三代目が僕だった。その後、Mさんがコアガラス、僕がモザイクガラス、Kさんはステンドグラスの輸入で成功した。つくづくガラスという縁がつきまとう関係だったな、と今思う。
やっとよく知っている幹線道路にでて僕は亡くなる前に奥さんが語ってくれたKさんのエピソードをMさんに話した。
何年か前、Kさんはどこからかホームレスのおじさんを家に連れ帰り、これからしばらくこの人、家にいるから、と奥さんに一方的に宣言した。その日からKさんとおじさんは一日汗まみれになって数週間で小屋を一軒作ってしまったらしい。
その話を聞いてMさんは笑って「Kさん、どこの馬の骨かわからん人、好きだったんだなぁ」と呟いた。KさんにとってMさんも僕もホームレスのおじさんも、だいたい同じだったんだろう。丸善に着き、Mさんは片手を上げて去っていった。
『馬の骨なら運動不足では死なないよなぁ・・・』と僕は埒もないことを考えている。

 

もどる