その31正論『恥』について」   2007/5.9

「携帯でスクープしたんですってね」
「えっ!なんで知ってるの・・・」
Tさんは年齢不詳の童顔をカウンター越しにグイとグロスマスターKに近づけた。
Kはコーヒーを入れながらふにゃふにゃと笑っている。Kは万人既に承知の如く油断が首からエプロンをぶら下げたような人物なのだが、なぜか妙な情報を収集する能力に長けている。
某有名女性週刊誌の編集者であるTさんはライカ使いのカメラマンでもあり、実家の広島に帰省される途中に寄られたのだった。
Kの言った「スクープ」とやらは例の二枚目歌舞伎役者の女性スキャンダルのことらしい。
その現場を桜の季節東京某所で目撃してしまったTさんは残念ながらカメラを所持していなかったのだが、そこはそれ、生き馬の目も鼻毛も引っこ抜くギョーカイ人、手持ちのカメラつき携帯でゲキ写(古いなあ)し、その写真が週刊誌、スポーツ新聞、ワイドショーをにぎわせたらしい。
僕はテレビも週刊誌も見ないけれどさすがにその話題はラジオで聞いていた。そしてまたもや勝手に義憤をたぎらせ、このエッセーに書くつもりだったのだ。

さて、AB蔵君、恥を知り給え!恥ずかしくないのか? あーん?おいらはとっても恥ずかしい。 いや、君がどれほどプレイボーイでも、好色でも、それは君の勝手である。そもそも歌舞伎役者たるもの色気があってモテるのは大いなる財産だろう。おいらがそれでも堪らなく恥ずかしいのはそのお相手のことさ。いやしくも歌舞伎役者たるものがTV女優のような今時のかわい子ちゃんや、素人さん相手に好きだ惚れただのと軽々しくお遊びなんぞしないでいただきたい。できれば新橋あたりの超粋な、いわゆる玄人筋の、小股なんかが切れあがっちゃってる、なんだか詳しくは知らないがスゴイいい女と切磋琢磨して男を磨いていただきたい。そうやって、男が見ても惚れるようないい男になってほしいと願っているだけなのだ。
ついでにCOB平(僕はどうしても正蔵とは呼びたくない)!情けない!大看板背負った途端に脱税かよ!祝儀貯め込んでどうする?豪華マンションでも買うつもりやったんか?本気で正蔵を名乗るつもりだったなら頂戴した祝儀に有り金足して豪快に大盤振る舞いでもして、見事スッカラカンになって、一族郎党長屋に移り住んで、キリッと腹くくって、目つきも凛々しく正蔵としてスタートを切り直して欲しかった。そしたらアンタの落語が少々まずくてもおいらは拍手しつつ待ってやったのによう。
歌舞伎も落語も、この国に僅かに残された「粋」の形ではないのか。粋とはなんぞや。それは「やせ我慢」だ。世間が浮かれている時には苦虫を噛みつぶし、世間が意気消沈している時には泰然とはしゃぎ、ただただ背筋をピンと伸ばし、権力におもねず、どこまでも格好良く、きりりと見栄を張って生きること。
すっかり小賢くなってしまったこの世間の中で歌舞伎役者と落語家はやはり桁外れの美意識を、先ず生き方で見せていただきたい。決してテレビ女優なんぞといかにもの火遊びを演じたり、蓄財に励んだり、そんな小粒な私生活で我々の顔面をぞうきんで逆撫でするようなむごいことはしないでほしいな。
「粋」、「いなせ」なんてものは舞台や高座の上だけで身に付くものでもあるめえ。朝起きて夜眠るまで格好を崩さず、この世のチマチマしたあれやこれやに頓着せず、甘えず、芸一筋に生きられることを唯一の喜びと腹に納めておいて欲しい。 そんなことは人にとやかく言われることじゃないだろう。だが世間を甘く見るなよ。みんな見てる。だってTさんだって見てたんだから。
ちと前から若者達が使っている「やばい」の意味をご存じか?これはあまりに普通じゃない、格好良すぎるというほどの意味だろう。僕達が役者や落語家に託している夢はこの「やばい」感じなのだ。なのにAB蔵もCOB平もフツーじゃねえか。志ん生の長屋の職人、圓生の色っぽいねえさん、これはやばかったなあ。COBちゃん、今のあんたが演じられるのはせいぜい与太郎ぐらいのもんだろう。それもアホのふりしてちゃんと銭勘定だけはぬかりない可愛げのない与太郎。
さあ、どうだ!てやんでえ!悔しかったらグロスに来てここのややこしい客達を笑わしてみろってんだい!
え? もちろんノーギャラよ。

 

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