その32「答えるは安く聞くは難し」 2007/7.3

前回からもう二ヶ月以上経ってしまった。その間僕は二つの個展をやった。五月が神戸、六月が静岡。
個展から帰るとグロスマスターKはバカの一つ覚えのように、判で押したように、条件反射のように、それしか言葉を知らぬ九官鳥のように「完売ですか?」とお聞きになる。
僕はグッと怒りを抑え「ええかげんにせえよ」と呟いたり「人の傷に指つっこまんといて」とお願いしたりする。
さて、個展の会場では否応なく人にものを聞かれることがある。だがお客さんに何か聞かれるのは嫌いじゃない。とにもかくにもそれは僕という人間に関心を持ってくれたことであり、仮にどんな素朴な、初歩的な質問であっても僕は思いきり丁寧に、無理を承知ですごく感じのいい作家のふりをして誠心誠意答える。それに対し、本当にイライラさせられるのがマスコミ関係の質問で、特に新聞記者さんには失望することが多い。
彼らはきっと難しい大学を出て難関の就職試験を勝ち抜き、新聞記者として人に質問をするプロの訓練を重ねてきたはずなのに、一番つまらない。
村上龍が、正しい答えを出すよりいい質問をする方が難しいし、価値があるというようなことを書いていたけれど、まことにまことにその通り。
新聞記者諸氏は判で押したように、条件反射のように、九官鳥のように、「このお仕事を始めたきっかけは?」と聞く。僕は条件反射的に「忘れました」と答える。その時初めて記者は表情を変え、『困ったな・・・』という顔をする。それを見て僕はちょっと安心する。初めて彼らと普通に話ができそうな気がするからだ。
彼らの仕事はきっと忙しいのだろう。はっきり言って僕のような作家に彼らは興味がない。流行作家でもなく事件を起こしたわけでもなく人間国宝でもなく、とにかく一分でも早くさっさと取材を済ませて新聞紙の僅かな隙間を埋める作文を書いてしまいたいだけなのだ。
「キッカケ」を聞いてどうするんだろう。何故始めたかがそんなに大問題なんだろうか?僕達はそんなことを知らしめたくてこんな仕事をしているんじゃない。
同じくウンザリさせられるのが「今回は作品は何点ありますか?」という質問。これにも僕は「さあ、わかりません」と答える。だって、目の前にすべての作品が並んでいるのだ。知りたければ数えたらいい。僕の作品が何点あるかを知って読者はいったい何を知ったことになるのだろう。新聞記者は何も調べてこない。つまり興味がない。個展というものは僕の仕事の総決算であり、生活であり、最前線であり、ある意味、聖なる場所であることに彼らほど無関心な人々はいない。こんな取材なら僕でもできる。例えば僕が宇宙飛行士にインタビューするとしましょうか。
「宇宙飛行士になったきっかけは?」「今回で何回目の飛行ですか?」「今後の抱負は?」「最後に、あなたにとって宇宙とはなんですか?」ハハハ、僕が宇宙飛行士のことをまったく知らなくてもできますな。政治家であろうとアーティストであろうと科学者であろうと相手選ばずできてしまう。でも実際にはこんな失礼な質問は恐ろしくて、もったいなくてできない。それを平気でできるのが現代の新聞記者の職能なのかもしれない。
そんなことを意識してしまうとラジオを聞いていてもこの手のインタビューがやたら耳につく。「キッカケは?」と聞かれてまともに答えているのを聞くと最近は『この人、偉いなあ・・』と変に感心してしまう。
今日本人はものすごく言葉に関して鈍感になっている気がしてならない。言葉の味が薄い。語数が多いのに中身がからっぽなのだ。やたらはしゃぐけれど少しも面白くない。吐き気がするような語感の汚い言葉や胡散臭い定型の会話が上滑りし、あっちへ行きこっちへ行きして無意味にCO2をまき散らし、ただただ欲望のみがくっきりと輪郭を持って支配している国。
おやおや、ドエライ結論にたどり着いてしまった。この季節は愚痴っぽくなっていけませんなあ。こんな時は、やはりグロスのアイスコーヒーですかな。チャンチャン。

 

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