その38「炎のポンポン」 2008/5.17

午後九時、グロスマスターKのすがるような疲れた声が電話から聞こえた。僕は車を運転して10分でグロス前の銀行の駐車場に着いた。グロスのドアを開けるとカウンターに久田さんが腰掛け、向かいにはKがよるべない小学生のようにボーっと立っていた。
僕は久田さんと一年ぶりの握手をして隣に座った。たった今終わったらしい鼓教室の名残のような緊張した空気がまだ漂っているようだった。
大倉流小鼓奏者久田舜一郎、重要無形文化財総合指定保持者にしてジャズメン等とのセッションや海外公演をも行う熱くて真っ直ぐなイカしたおっさん。
「今日もかなり燃えましたね?」 僕の問いに久田さんはニヤニヤ笑い、Kは涙目でしきりにうなずいている。
カウンター横のカレンダーの今日の所に「ポンポン」と書き込んである。Kの用語では鼓は「ポンポン」、笛は「ピー」なのだ。
だが久田さんのレッスンはホットである。時に焼けた鉄鍋の如く、時にとうがらしの丸かじりの如く、相手がKであろうと若い女性であろうと容赦ない。中日ドラゴンズの春のキャンプも園児のお遊戯に見えるほどの、真心のこもった有り難いものであるらしいよ。
「ちょっとその辺りで一杯いこうか」 久田さんは道具や衣装の入ったキャリーバッグをごろごろとひきずり近くのおでんやの暖簾をくぐった。Kは戸締まりをすませ、少し遅れておでんやのカウンターに座った。
久田さんは右の耳が少し遠い。長年の鼓生活のせいで鼓に近い右の耳が傷んでしまったのだ。だから右隣に座った僕の言葉を聞く時はこちらに向き直る。それすらも子供を泣かすには十分なほどの迫力なのだが、僕は久田さんと話をするのが好きだ。久田さんの言葉は簡潔で迷いがない。僕とKとのとりとめのない、気色の悪い会話とは大いに違う。酒の好みもはっきりしているが、保守的ではない。店の主人が勧めた酒はとりあえず飲む。飲んではっきりと感想を言う。それが気に入らない酒でもしばらくはそれを飲み続けてみる。その後で酒を変える。そういうところも何となく格好いい。
久田さんが鼓の道に入ったのは今から47年前、高校二年生の時だった。能のシテ方であった父上から鼓宗家の大倉六蔵、長十郎両先生のもとに預けられた。蔵の隅で寝起きしながら来る日も来る日も稽古、そして来る日も来る日も殴られた。やんちゃ盛りの少年が何故そんな暮らしに耐えられたのかと聞くと、「それしかなかったから、帰るところはないと思ってたから」と答えた。
最近「継続は力なり」という言葉をよく聞く。だが僕はその言葉に違和感を感じる。少なくとも久田さんのような人に使ってはいけないような気がする。その言葉には「続ける」か「やめる」かの選択肢がある中で「続ける」を選択し続けたことへの賛辞のニュアンスが感じられる。
今の社会の豊かさは「選択肢の豊かさ」だ。いい高校へ行けばいい大学を選ぶ選択権が手に入る。いい大学に入れば好きな仕事、有利な仕事を選ぶ権利が手に入る。いい会社に入ればいい女を選べる。それが豊かな人生というものであるらしい。それは何となくセコい。どこがと聞かれたら困るが、何かつまらない感じがする。選択肢を手放さずに貯め込むほど迷う。迷うと悩む。悩んで自分探しの迷宮にはまりこむ。一生抜け出せない人もいる。それのどこが豊かなんやろか、と時々思う。
毎日殴られ続けた久田少年は最初訳がわからなかった。いったい自分の何が悪いのか途方に暮れたらしい。だがしばらく経ってわかった。ただ師匠の機嫌が悪いと久田少年を殴りたくなるのだった。それはわかったところでどうしようもない理不尽ではあったが、その後も久田さんは二人の師匠の元でひたすら修行を続けた。鼓の稽古と能や狂言の勉強、そして弟弟子でもある長十郎先生の幼い息子の世話の生活。その息子が最近とみにマスコミを賑わせている大倉正之助である。 そして久田さんは長く、痛い修行生活を終えて独立を果たす。
「僕が独立したその日から先生は僕のことを久田さん、と呼ぶようになった。」
どんなに理不尽に見えてもその一事で僕は何かを納得した。そういう世界に生きてこられた久田さんに「継続は力なり」なんてとぼけた言葉がそぐわないことをわかって頂けたのではないかな。 若者よ、つまらない言葉に惑わされてはいけない。生暖かい言葉に依存してはいけない。 将棋に例えるならせっせと手駒を貯め込んで、それをどこに打っていいのかわからず堂々巡りの長考に時間を費やすよりは、まず一手を打ってみるがいい。一手動いた盤面は別世界なのだ。そうやって自分の手で世界を変えつつ生きているうちに自分とこの世界のことが少しずつわかっていくに違いない。
なんだか久田さんの虎の威を借りて説教を垂れてしまったが、そう言えば動物に例えるなら久田さんは間違いなく「虎」だな。僕は以前友人に「馬」だと言われた。ならばKは「鹿」で、二人合わせると・・・・ 綺麗に哀しいおちがついたところでおあとがよろしいようで。ポン!

 

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