その40「洋食屋C物語」 2008.10.9

「洋食屋C物語」 新宿のギャラリー「アルデバラン」での個展が終わり、年末の岡山での個展に向けて制作を始めている。
最近個展でよそに行くとよく「グロスカウンター読んでますよ」と言われるのだが素直に「有り難うございます」とどうしても言えない。心中『マズイ・・・』と呟く。公開しているのだからマズイもないのだが、何だか知られてはいけない弱みを握られている気分になる。
元々このエッセイはグロスマスターKと僕とがカウンター越しに交わすまことに聞くに堪えない愚痴、浅ましい駆け引き、イヤミ、要するにいい歳をした男が口にすべきでないあれやこれやで構成されている。絶対に読んでためにならないし、誰の名誉にもならないことを書き始めて早四年半。
だがまずいことに最近はこのエッセイを書いている時にその「読んでますよ」の方々の顔が浮かんでくる。特に作品を買って下さった方の場合、作品とこのエッセイが果たして一体化するのか、したとしてもどんな化合物になるのか、僕はただ深夜の部屋でうなだれ、『スミマセンデシタ・・・』と土下座したくなる。それでも僕はこうして又懲りずに書いている。よほど僕は世間に甘えているのだろう。
さて、東京から帰ってきてすぐ僕は岡山県庁の近くの洋食屋に行った。その店は前回の号で書いたバンドマン時代に時々行った店だ。その後は十年に一度ぐらい行っている。十年に一度とは要するに完全に忘れた頃に行く、ということだ。このご時世、飲食業が十年続くということが稀なわけだから、まあ、つぶれていないか確かめに行っているようなものだ。
週末の夜なのに客はいなかった。ついタンシチュー、カツカレー、オムライスと食べきれないほどの料理を注文して店の中をゆっくり見回した。
壁には数枚のクラシックな油彩の風景画、テーブルには模造レースのビニールクロス、客席からもカウンター内からも見える位置にテレビ。
「こちら確か三十年以上になりますよね」僕は妙なデジャビュ感覚に襲われつい聞いてしまった。十年前、二十年前、三十年前にも同じものを見ているのだから既視感は事実でしかないのだが、やはりこれはあり得ないことに思われた。
「三十一年です」カウンター内のマスターは恐ろしい手際の良さで三種の料理を仕上げ、答えた。逆算すると僕がこの店に初めて来たのはほとんどオープン直後ということになる。その頃のマスターは子供っぽいといってもいい童顔で、奥さんはちょっと気の強そうな若々しい娘さんに見えた。
僕は昔から食べ物屋に入ると相手構わず話しかける癖があって、そのお二人とも何度か話をしたことを思い出した。自分は神戸で修行をしてこの岡山に初めて自分の店を持ったのだが、岡山の人は洋食の味がわかっていない、美味しいものにお金を払ってくれない、近くの県庁の職員は隣のそば屋にはたくさん来てるのにこの店には来ないetc・・・。
これは三十年前にも聞いたし、今回も聞いた。何も変わっていない。店の外も、内も、メニューも、料理も、そしていったん口を開くと次々溢れ出る二人の愚痴や嘆き。いったい三十年以上何も変わらないことなどが何故可能だったのだろう。
僕達は変わることが当然と思っている。僕の場合作品は変わり続けている。時にはヤケのようになって無理矢理にでも変える。そうしないと自分の立てる面積がどんどん小さくなって、ついには存在出来なくなってしまうような強迫観念に縛られている。この情けない心理は「人はすべてに飽きる」という思想に裏付けられている。
「面白い」という言葉は「面白くなくなったら捨てる」という冷酷な現代の本能を同時に含んでいる。面白いことを探し、食べ尽くし、飽きて、捨てる。僕達はそれを当然として、むしろ善として生きてきた。それを先回りできる人間が儲け、生き延び、太ってきた。
この社会の地下に今貯まりに貯まっているエネルギーはこんな無慈悲な欲望の大河であり、そこから溢れ出た不安とストレスなのではないか。
多すぎる料理を何とか胃の中に押し込み、僕が財布を出して帰るそぶりを見せてもマスターと奥さんの口からは三十年前と同じ関西訛りのセリフがとめどなくリプレイされていた。
変えなかったのか、変えられなかったのか、変えるということを思いつきもしなかったのか・・・。
三十年の年月は確かに二人の風貌を変えてはいた。関根ツトムみたいだったマスターも奥さんも白髪混じりになり、顔には深く皺が刻まれていた。だが不思議なことに僕にはそれが若い人がメイクで老け顔にしている、ほら、よく連続ドラマの最終回で主人公が何十歳も歳をとってでてくる、あんな不自然なものに見えてならなかった。
三十年以上何も変わらない場所を訪れて僕が感じたのは「懐かしさ」なんかじゃない。そんな面白いことじゃない。もしかしたら僕達の時代は既に「面白い」ことでは救えない際どいところに来ているのではないか。逆に言えば「面白くない」、十年一日の如く変わり映えのしない何かを欲しているんじゃないか。
いつものことだけど小さなことから大げさな結論をブッコイてしまった。だが付け加えておかないといけないのはそのCという洋食屋は間違いなくおいしいということだ。「懐かしい」とか「レトロ」なんていういかがわしくもひ弱な感慨とは無縁の正当なうまい洋食屋である。
そう言えば十年一日の如き店が岡山にもう一軒ありましたなあ、確かグとかロとかスとかいう店やったなあ・・・

 

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