その50「霧の彼方に」 2010/6/3

ROBERT B.PARKERの「PAPER DOLL」という推理小説を読んだ。僕は英語が得意ではない。成績も悪かったし留学経験もないし外国人の知り合いといえばグロスでたまに顔を合わすMr.Cぐらいで、Mr.Cはしかもものすごく変なカナダ人である。英会話の練習相手にはあまり向いてない。
僕が最後に外国に行ったのはもう30年も前のことである。敗戦後捕虜になっていた方々とあまり変わらない。
では何故英語の本を時々読むのかというと英語の方が面白そうな作家がいたり邦訳が出ていなかったりするからだが今回の場合は少し事情が違った。ロバートB.パーカーの本は日本語でもう20冊ぐらい読んだ。ある時ウエスタン小説の中に出てくる「エイトゲージ」という銃の形を知りたくてインターネットで調べているうちに作家であるロバートB.パーカーが今年(2010)の一月に既に亡くなっていたことを知ってしまった。すごく好きな小説家が亡くなるともう新作が読めないという事実に愕然となる。それはきっとどなたも同じだろう。パーカーはベストセラー作家だから作品数は少なくはない。でもいずれ読み尽くしてしまう。これを少しでも先延ばしにするにはゆっくり読むしかない。そんな理由で英語のペーパーバックで読むことにした。だが僕は小説を読む時には一切辞書を引かない。単語力は高校生程度だからものすごい量の知らない単語に出くわすがすべて無視する。結局日本語で読むのとあまり変わらない時間しかかからず、僕の先延ばし作戦はあまりうまくいっていない。
さて、この「PAPER DOLL」の主人公はスペンサーというタフな探偵なのだが今回の事件の中である田舎町の保安官に逮捕され独房に放り込まれる。何もない真っ暗な空間の中で時間はのろのろとしか進まない。何も時間をつぶす手だてがない。自由になるのが自分の頭だけ、という状況で人はどうやって霧の中の時間をやりすごすのか。
スペンサーは仮想のオールスター野球チーム組織に取り組んだ。ディマジオ、ミュージアル、オジー・スミス、マイク・シュミット、ロビンソン、ウイリー・メイズなどの歴史的な名選手でドリームチームを作った。それが完成すると今度はバスケットボール。バード、ラッセル、マジックジョンソン、マイケル・ジョーダンなど。それが終わるとスペンサーがそれまでに付き合った女性の名前と服を着ている時、着ていない時の姿。それからフットボールのこと、好きなジャズミュージシャンのサラ・ボーン、メル・トーメ、作家のフォークナー、画家のフェルメールなどを思い出してやっと暗闇の時間に打ち勝って寝付いた。 ストーリーとはあまり関係のない描写だけれど一番印象に残ったのはこの部分だった。
僕は牢屋に入ったことはないが若い頃に時間を持て余したことはもちろんある。今思い起こせば贅沢なことだがその時には持て余していたのだからしょうがない。テレビもコンピューターもなく、何よりも先ずお金がない。友達と会ってもそちらも同じようなものなのだからやはりぼんやりと面白くもない顔をつきあわせているだけ。そうするとどちらかが妙なことを思いつく。そんな思いつきの中で遊びとして定着したことが幾つかあったが僕がよくやったのは「名前のしりとり」である。これを始めると一時間ぐらいはつぶれる。しりとりというゲームは何故か本気になるし、焦る。ゆっくり考えていてはいけないような気がして頭に浮かんだ名前を反射的に口にする。その結果その人の読書傾向やら好み、文化背景みたいなものが結構露わになる。そこが面白い。
僕の場合は野球、プロレス、ボクシング、ジャズ、画家などのフィールドから引っ張り出すことが多かった。時にはジャズミュージシャン限定のしりとりなんかもやった。例えばカウント・ベイシー→シェリーマン(ンで終わる時はその前の音でよいというローカルルールでやっていた)→マイルス・デイビス→スタン・ケントン→トニー・ベネット→トミー・フラナガン→ガトー・バルビエリ・・といった感じである。これをアーティスト限定でやったり小説家限定、映画関係限定などとにかく自分の知識、記憶を絞りに絞って延々とやっているうちにいつしか途方もなく馬鹿らしくなって友達の下宿で寝てしまう、といった青春の夜が何度もあった。
あれから数十年の月日が流れその間に僕には持て余すほどの手つかずの時間はなくなってしまった。同時に思い出すための記憶力というやつが劇的に衰えた。 先日グロスマスターKと映画の話をしていた。
「あのヘビースモーカーの映画監督、だれだっけ?」
「えーと、あの人ですよね」
「そう、あれ」
しばしの沈黙、焦燥、迷走・・・
「あ、今村昌平!」
「・・・・?」
「今村昌平ですよ」
「なんか違わねえ?」
「間違いないですって、今村昌平」
「なんか違う気がするけどなあ、ネットで調べてみい」
K、露骨に不服そうな顔。
「映画監督、ヘビースモーカーで検索して」
K、ちらっと横目でにらみ、しぶしぶコンピューターをたちあげる。その間も僕は脳のあちこちをつついては行方不明の記憶を探し回るのだが無駄なあがきだった。ただ名前が一字だったような気がしてならない。
「あ、市川崑でした」
「ほら」
思い出せなかったのだからホラもないのだが気分的には勝利である。
「市川昆は犬神家の一族だよな、今村昌平の姥捨て山の話は・・・」
「楢山節考です」
「そう、楢山節考にでてた坂本スミ子、好きやったなあ、たそがれの御堂筋、昭和歌謡のベストやで」
こんな具合に話はどんどんはずれ、再び霧の彼方の過去に舞い戻っていくのである。そういえば「霧のかなたに」の黛じゅんはよかったなあ、こっちがベストかなあ・・・。

 

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