その51「君、幸せになるべし」 2010/7.29

 はい、お疲れさま。これで一応前期のガラス工芸の授業を終わります。後期を履修している人には夏休み明けに又会えるけど前期だけの皆さんとはひょっとしたらもう一生会うこともないかもしれん。だから最後に僕の勝手な話を20分ほど聞いて下さい。
せっかく何かの縁でこうして15週間一緒に時間を過ごしたんだから僕は是非君達一人一人に幸せな人生を送って欲しい。突き詰めて煮詰めてしまえばそういう話なわけさ。だがこの幸せというやつはそれぞれ違う姿をしているし、考えれば考えるほど正体がわからない。
例えば君達がまだ就職が決まってなかったとする。周りが次々内定をもらって、さあ夏休みだ!恋だ!バイトだ!旅行だ !という時にクソ暑い中をリクルートスーツ着て汗だらけになって会社訪問に行っては落とされてたらもう内定さえもらえたら文句はない、それが私の幸せですと思うかもしれない。でもそれはしんどい状況から解放される一瞬のことに過ぎない。内定通知をもらった瞬間の幸せ。だがしばらくすればそんなものは色褪せてしまう。本当に私はあの会社でやっていけるのだろうか、と不安になる。あの会社でよかったのだろうか、と早くも後悔みたいなものが心をむしばむ。仕事を始めれば幸せとは縁遠い毎日のあれやこれやでへとへとになる。会社がつぶれるかも知れない。馬鹿な上司のセクハラにいつ会社に火をつけてやろうかと暗い計画にのめりこむ日々かも知れない。
あるいは大好きな彼氏がいたとして、あの彼と結婚できるなら何もいらない、私の幸せは他にあり得ないと断言する人もいるかも知れない。意地悪を承知で言うがその気持ちが一生続くとは限らない。君の気持ちが今どれほど真っ直ぐであっても何か厄介なことが起きるかも知れない。いや、たぶん起きる。彼氏が浮気をするかも知れない。彼氏が実はギャンブル好きで会社の金を使い込むかも知れない。子供が出来たらそいつがとんでもない悪ガキかも知れない。その時に今の気持ちを思いだして『ああ、私はやっぱり幸せだわ』と何度も繰り返すことができるか。そこまで揺るがないという自信があるだろうか。要するにそれらの幸せの土台はかなりもろいということ。今の気分に過ぎないということ。それらは今持っていないものが欲しくて堪らないという意味に他ならない。気分の上に乗っかった幸せはものすごく脆い。手に入ってしまえばそれはもう違うものになってしまう。手に入れた後でも変質しないもの、あるいはより輝きを増すような幸せ、それはいったいなんなのだろう、そんなものが本当に存在するのか。多分今まで多くの人がそれを考え、探してきたのになかなか決定的な答えが出せない難問中の難問なのじゃないか。
もちろん僕にもわからない。いつも考えているけれど自分で納得のいく答えが出たことはない。ただ、こんな人って幸せなんじゃないか、というイメージだけはある。
例えば君達が休みの日に昼近くまでへそ出して寝てたとする。そこに大好きな友達から電話がかかってきた。
「お昼に遊びに行っていい?」 「わあ、ひっさしぶり、うん来て来て!」
電話を切って目が覚めてはたと気がつく。
『げっ、金ない・・・』
引き出しの中、ジャケットのポケット、鞄の中、どこを探してもコイン数枚しかない。久しぶりの友達にお昼をご馳走してあげたいのに冷蔵庫はからっぽ。ジャガイモが一個だけ。まさかお金ないからおごってとは言えない。ピンチ!
ここで「ごめん、用事あるの忘れてた。また今度」と電話してしまう人は幸せとは違う向きに歩いていると思う。
ジャガイモ一個でなんとかしてやる!
先ずジャガイモをゆでる。時間がなければラップしてチンでもいい。その間に顔を洗う。化粧をする。茹で上がったら皮をむき、つぶし、裏ごしをする。裏ごし器なんか要らない。ざるに押しつければいい。そのもろもろとしたものに小麦粉、塩、オリーブオイルを混ぜ込んでひたすらこねる。それをころころ転がして棒状に延ばし、キャラメルほどの大きさに切る。それを塩を入れたたっぷりのお湯に放り込む。その間に着替え、部屋を片づける。茹で上がったらお皿に放り込みオリーブオイルをたらたらとたらし、粉チーズをたっぷりふりかけたところに大好き友達到着。缶ビールで乾杯!久し振りの山盛りの会話に相応しいシンプルで素敵なランチ。
この人は幸せだと思う。あるいは幸せをつかむ力を持っていると思う。こんな人になるにはどうしたらいいのか。言い換えればジャガイモ一個しかない時30分でニョッキを作れるとはどういうことか。
先ず、ニョッキを食べたことがなければニョッキを作ろうと思いつくはずはない。食べたことがあって「私の好物はニョッキです」と公言している人だって食べながら『これって何で出来てるのかなあ?』という好奇心を持ち合わせていなければ作る気にはならない。好奇心に行動力を混ぜ合わせ、とりあえずめちゃくちゃでも作ってみないと勘がつかめない。たまたまうまくいったらその時の様々なデータ、小麦粉の量、塩の加減、ニョッキの軟らかさ、ゆで時間などを覚えていないといけない。そして何より冷蔵庫と財布が空っぽであることを知った時にすぐ諦める方向にもたれかかるのではなく『ジャガイモ一個発見!ヨッシャー!』という攻撃的な生命力と頭の回転力。
君達が勉強をするというのは本当はそういうことなんじゃないかな。知識を得る、経験をする、好奇心を鍛える、記憶をする、何かと何かの間に架空の橋を架け新しいものを生み出す。それが本当は大学でやるべき勉強なのではないか。そういう勉強をして幸せになる力を蓄えることが大学に来た意味なんじゃないだろうか。
突然やってきた友達に30分で嬉しくなるような料理を作ってあげて缶ビールで乾杯をしてしゃべりながら笑いながら『ああ、こんな友達がいてくれてよかった』とお互いに思い合えるような人間になるために君達はこれからも勉強をしなければいけない。
僕の「幸せ論」とはそういうものです。是非幸せになって下さい。以上。どうぞ良い夏休みを!

学生達は真夏のキャンパスに散っていった。

『やれやれ、偉そうなことをしゃべり散らすと妙に喉が乾くなあ。打ち上げにグロスのアイスコーヒーでも飲むか。梅の黒酢漬けソーダ割りも悪くないか・・・』

2010年7月27日就実短期大学ガラス工芸前期最終授業より。

 

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