その58「京都の雨が身にしみて・・・」 2012/5.22

前回のエッセイを書いたのが確か1月の大阪個展が始まってすぐだった。その後3月に東京の個展があり、4月の14日、15日と京都でワークショップをやった。
最近アート業界ではワークショップが流行っているようである。美術館でも企画の内容にこじつけたようなワークショップが展覧会と同時に開催されることが多い。いつのまにか日本ではアートがすっかり人の生活に溶け込んでいるような錯覚を覚える。錯覚と言い切るのは僕はそうは思っていないという意味に取って下さって結構。美術館の多くは国、都道府県、市などの公立の組織なので当然税金で運営されている。だが美術館が黒字で運営出来ることはあり得ない。だから議会等でよくその赤字が問題になる。それに対して「当美術館は地域文化において本年度はこれこれの貢献をしました」という主張のもっともわかりやすい根拠は入館者数である。だがよほど大掛かりな鳴り物入りの企画展、例えば「幻のフェルメール、発見!」だとか「門外不出のミイラ、海外初公開!」みたいな展覧会でないと人は行列を作らないし、そんな展覧会を自前で企画できる美術館などほとんどない。地味でも面白いでは客は入らない。入らなければお役人や議員さんを説得出来ない。そこでワークショップである。それも子供向けのやつをやると親がついてくる。お友達なんかも来たりするから見かけ上の数字が上昇してとりあえず知恵を使って経費を使わずに実績を残しました、と主張出来る。
これはいささか意地の悪いワークショップ観かもしれないが,そういう側面は一切ありませんと言い切る学芸員もキュレーターもいないと思う。僕はそのような事情を批判しているのではない。ただ美術という文化を維持していくのはそんなに面白おかしい仕事ではないし水面下では足がつるほど一生懸命に水をかいている人々の苦労にまったく無関心はまずいのでは、と思っているにすぎない。

さて、今回僕がやったワークショップはそういう美術館主催の不特定多数(多数というところが肝心なのだ)向けのものではない。具体的に言うと僕が作った「Yグラス」という技法のワークショップである。正直言って僕は最初あまり乗り気ではなかった。何故なら僕自身がこのYグラスという技法に関してあまり自信が無いからである。それをやっちゃうのかよ、と大向こうから声がかかりそうであるが、ま、やっちゃったわけである。
数ヶ月前にA3 Internationalというガラス工芸材料や工具を開発販売している会社のKさんがこの話を持ち出した時、僕はあまり自信が無いし、こんなに完成度の低い技法を僕が教えて僕以外の人が作品に出来るとは思えない、と答えた。Kさんもこれで引き下がってくれると思っていたら数日後に電話があった。
「矢野さんの説明されたようにしてみたら何とか出来ましたのでやりましょうよ」
僕は呆れた。Kさんのその楽観的な積極性と、そして何より僕のおおざっぱな説明で「出来た」ということに驚いた。 数年前にも違うテーマでKさん企画のワークショップをやったことがあるのだがその時初めて彼と話をし、彼のプロデュースになる様々なオリジナルの工具類などを見た時、『こいつ、ただものではないなあ・・・』と思ったものだが改めて彼の並外れた様々な能力に僕は言葉を失った。
出来てしまったならもうやらない理由は無い。<
> 「ウチとしたら赤字が出なければいいんです。面白いことをやりたいだけなんですから。最低限の受講者が集まったらやる、ということで。じゃ、お願いします。」

それから数ヶ月が経った。その間に僕はいくつかの展覧会をやり、少なからず刺激的な人々と出会い、あちこち満身創痍になり、その傷を他の刺激で紛らわせて2012年の春になった。正直言ってワークショップのことは頭の片隅で時々明滅してはいたものの生徒不足で流れるだろうという予測が勝って忘れてしまっていた。
4月10日頃携帯が鳴り、京都のKさんの名前が表示された。それでも僕はワークショップのことを思い出さなかった。
「京都のKです。ご無沙汰しています。ところで何日に来られます?」少しずつ事態の危機が姿を現しつつあった。 「当日でしたら京都に9時半ぐらいに来て頂いたら大丈夫です。前日に来られて泊まって頂いても、どちらでも。」
完全に目が覚めた。完全にまずいことがおきている。
「えーと、まあ、当日行こうかな・・」
僕の心の目にはワークショップが大失敗に終わって受講者の前でうなだれている僕の姿がくっきりと,ありありと見えた。
それから二日間で僕は京都行きの準備をし、材料や道具を宅配便で送って4月14日息も絶え絶え、特攻隊員もかくやという覚悟を腹に京都の桂川駅に降り立ったのである。

駅前の広場にKさんは車を停めて迎えに来てくれていた。相変わらずの飄々とした青年ぶりである。細身で髪をポニーテールにくくり、髭をのばしたその姿はとても年に数億円のお金を動かしている人物とは見えないが、そのチグハグさも彼の魅力であろう。
小雨が降っていた。
会場までの数分の車中、僕は重い灰色の京都の空をそれに負けない重い心を抱えてぼんやり見ていた。会場の工房に着き、設備類や先に送っておいた工具類を確認していると一人また一人と受講者の方々が到着し、Kさんが紹介してくれた。今回は6人という少人数でありややほっとしたもののそれで問題が解決したわけではない。一人の方は長野から来られるのだが、母上を介護施設に送ってから出発されるので到着は午後になるという。そこまでして来て下さることに僕は申し訳なくてまだ始まってもいないのにへこんでしまった。その方を除いて全員が揃い、一人一人自己紹介をされた。少しずつ思い出したが半分は前回もおられた方達だ。Kさんが言うには今回はベテランが揃いましたということだ。ほとんどの方が既にプロとして活動をされているかそれに準ずるキャリアの生徒さんだった。だからといって問題が解決したわけではない。とにかくこっちに問題があるのだから。
さて、いよいよ不安まみれのワークショップが始まったのであるが僕はこれはもう先手を打つしかない、と最初に山盛りの言い訳と謝罪をした。そして最後に「これはこれからみんなで完成していく技法なのであります。さあ、力を合わせて頑張りましょう!」となんだか訳のわからない的の外し方で締めくくった。
そして結局どうなったか、であるが結果から言うとなんと上手くいったのである。
初日に作った作品を一晩徐冷してそれを二日目に仕上げをし、それぞれのYグラスが一つは完成した。僕にとってもそれは僕以外の人が作ったYグラスを初めて見る経験であったわけであるからかなり嬉しかった。二日目は時間的に余裕があったので二個目のYグラスをそれぞれの工夫を加えて作った。正直言ってガラスの扱いが僕よりよほど上手な人もいて僕はただ「ほーっ」とか「へーっ」とか言いながら感心して見ていただけである。時には逆に僕が質問すると皆さん丁寧に優しく答えて下さったりもした。

ま、思い切りまとめてしまえばこんな京都の二日間だったわけであるがこのエッセイの本題はここからである。 話を初日に戻すが、僕はYグラスのデモンストレーションを始める前にあれこれ胡散臭い制作論で一寸先も見えぬ煙幕を張っておいた。もっともその中には僅かではあるが僕の信念(ワオー、そんなもんあったんかあ・・・と一同驚く)も混入していた。例えばガラスであろうと他の世界であろうとものすごく僅かな差異、特に色に関してこれがそうだ、という色を探す作業を省いてしまったらそれはなかなか作品と呼べるものにはならない、というようなことである。ガラスの場合もともとが美しい。特に透過光で見たらそれはあまりに魅力的である。だがそれを自分の表現行為にまで煮詰めていくにはその魅力に依存してばかりではまずいのではないか、この色でもあの色でもない自分が作った色、それを探す作業を省いてしまうと結局手仕事の域をなかなか出ることが難しいのではないか。 まあ、そんな前ふりの後、僕は最近使っている技法で、複数のガラスを混ぜて新しい色を作るデモンストレーションを始めた。詳しい内容はここには書かない。そうでないとせっかく高い受講料を払ってくれて遠くからやって来て下さった生徒さんに申し訳ない。言い忘れたがここのワークショップはほとんど地元の人がいなくて今回も長野、東京、金沢、後の三名が大阪であった。
ともかく僕の考えたやりかたでガラスを混ぜ合わせるデモンストレーションを披露した。僕が予想していた反応は「おーっ」とか「ワーッ、すごい!」とか、まあそんな感嘆の声であった。だが実際におきたのは爆笑であった。こんな時まともな作家ならば怒るか、戸惑うか、恥じるかであろう。だが僕の反応は『あれ、うけちゃった』。
僕は調子に乗ってその作業をより派手に繰り返した。要するに僕という人間はそんな人間なのだ。感心されるより尊敬されるより笑われる方がいいのだ。
当初の目的とは大きくかけ離れていたがとりあえず僕の秘技は皆さんの心をつかんだらしい。笑い疲れた受講生達は「面白い!」とか「私も早くやってみたい」などと有り難いことをおっしゃてくれた。別にとっておきのギャグをかましたわけでもないがワークショップはいい雰囲気でスタートを切ることが出来たわけである。
でも、今でもなぜ爆笑されたか僕にはよくわからないのである。

ま、とにかく僕の予想とは違い、優秀で心優しい受講者の皆さんとなにがあっても動じず臨機応変力に富んだKさん、それにKさんの弟分で京都の不良少年がすくすく育ったようなM君のおかげで僕の京都の二日間は無事ハッピーエンドを迎えることができた。
めでたしめでたし、と言いたいところであるが京都から岡山へ帰って来た僕をグロスの一杯の珈琲を飲む間もなくまたまた予想だにせぬ数奇で過酷な運命が待ち受けていたのである。続く。

 

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