その64「 三人、三又路、30年」 2014/5.20

展覧会を一つ終えるごとに本当は幾つも記憶に残る出来事があるし、その時は『あ、これ書いておこう』と思うのだがずるずると、どんどんと上書きされていって僕の大脳という泥沼の底に沈んでいく。それでもこれは忘れるわけにはいかない、と時々底ざらいをして引き揚げてみるのだが今回はそんな感じ。

2月に岡山の天神山文化プラザで大学院の同級生の三人展をやった。このエッセイに何度も登場してもらった彫刻家の時光君(以降ときちゃん)と陶芸家の芝君(以降しば)である。
彼らとは1984年に「三匹の野良犬が三叉路で鉢合わせしたように」(展覧会パンフレットより抜粋)出会い、「それからの二年間をやはり野良犬がじゃれあうように」(同)して過ごした。そしてちょうど30年が経ってその長い時間のそれぞれの人生を恐る恐る振り返り、突き合わせてみるような展覧会でもしてみませんか、とときちゃんが一年半ぐらい前に提案してくれた。
それからの準備期間中に数回打ち合わせと称したお好み焼き(しばの母上の形見である立派な使い込まれた鉄板でしばが焼いてくれる)宴会をひらき、ああでもないこうでもない、ま、どないとなるやろとぐずぐずしているうちにときちゃんがきちんきちんと段取ってくれた。僕としばは基本的に「ま、そないに心配せんでもなるようになるやんか」という人種であり、ときちゃんはそんな二人に腹をたてながらも結局面倒を見てくれる人間なのである。こういう人間関係は一度形作られてしまうと一生続くのであり、二度と攻守が入れ替わることはない。

展覧会は楽しかった。ときちゃんはこの30年を幾つかに区切りその時代の代表作を全部で10点ほど展示した。しばは自分の顔を型取りして色々にアレンジして焼いた「MASK」という200点ほどの組作品をはじめこの数年に作った造形色の強い作品群を並べた。
僕はこの30年の間に貯まりに貯まったガラスの失敗作の破片をアクリルの箱に張った水の中に沈めた作品というかなり自虐的なコンセプトのシリーズを発表した。
それらを広い会場にそれぞれのやりかたで設置してみると確かにそれは僕達の30年であり、大げさに言えば僕達三人の生き方そのものであった。あれから三ヶ月が経ったが今でも僕はあの天神山文化プラザ第四展示室に濃密に漂っていた空気のようなもの、時間の堆積物のようなものをリアルに思い出すことができる。
結果的に僕があの展覧会から得たものはある種の「自信」と言えるようなものだったかもしれない。それはときちゃんとしばはたとえ10年一度も会わなくてもただの「過去」になってしまうことはなく、僕が本当に弱っている時には訳も聞かずに助けてくれるだろうということである。だからこそ僕は彼らに助けを求めることなくこれからも自分で考えて自分として作品を作り、生きていけるだろうというちょっとややこしい自信なのだ。

展覧会の一週間を通じてしばの知人が一番たくさん来た。夕方になるとしばを飲みに連れて行こうとする誰かが毎日来た。四日目ぐらいだったろうか、朝僕が会場に着くと30分ほど遅れてしばが来た。その日は岡山には珍しい大雪が前の晩に降ってしばはバスだったので遅れてきたようだった。大変酒臭い。知人に二本のスコッチをもらったものだからそれを二日間一本ずつ飲んでしまったらしい。
しばらくするとしばは「なんか動悸がしますわ」と言いだした。時々心臓のあたりに手をやって首をひねっている。その酒量を聞けば動悸ぐらいするやろ、と僕は知らん顔をしていたのだが昼前ぐらいになって「あ、これほんまにやばいですわ」と言いながらふらふらと立ち上がった。さすがに僕も酔っぱらいの戯言と無視できずしばの 顔を見ると確かに青い。しばはよろけるようにそのまま出口の方に歩きながら「ちょっとうどんでも食うてきます」と言って出て行った。僕は「やれやれ」と独り言を言いながらあらためて会場を見て回った。そしてときちゃんの「ベクトル1−2の神話」という作品の前で足を止めた。それは初日だったろうか、ときちゃんの恩師であるH先生が「これはいいなあ、これは傑作だよ」と言っていたからだ。H先生は長く岡山大学の教授を務め、その後芸術院会員になられた今の日本彫刻界を代表する彫刻家の一人である。そんな偉い先生が弟子の作品を「傑作」と評したのはお世辞ではないだろう。
この作品は腹筋運動をしている途中の人間が「く」の字になったあたりで頭と足が宙に浮いていて尻のあたりが支点になって静止している、といった感じである。
彫刻というものはなかなか鑑賞が難しい。たぶん彫刻愛好家より仏像好きの人口の方がはるかに多い。それは同じように見えて仏像の方はどう楽しんだらいいかという入口が比較的簡明だからだと思う。仏像を見て「いいお顔をしている」という感想を言う人がよくいるが彫刻に対してそうは言えない。もちろん言っても構わないのだがそれは「彫刻の本質ではないけれど」という前提の元に「まあ、言っても失礼ではないよな」という感じなのだ。
では彫刻の本質とはなんだろう。それを僕のような浅学非才が厚かましく述べるのもどうかとは思うのだがあえて言ってしまうと、何かの「力」なのではないかと思う。
ある作品は力が内側に向かって収束している。ある作品はいくつかの力が違う方向に向かって分散しながらバランスを保っている。ある作品は人体から枯れることのない力が放出し続けている。そして本当に稀にその不可視の力が見る人との間で完璧に共有され、一種の詩を生む。言葉以外で現された極端に簡潔な詩。それが最高の彫刻作品なのではないか、と僕は思っている。特に等身の人体彫刻の場合見る人も同じサイズの人間なので見るという行為は作品を自分の内部の力としてなぞることが出来る。ときちゃんのこの作品をなぞっていくと腹筋や腿のあたりに自然と緊張を感じる。自分の中に生じる仮説的な強い力と目の前の作品が閉じ込めている力が共振する。H先生の見方がどういうものであったかはわからないが僕もやはりこれは「傑作」だな、と思った。
そんなことを考えているとしばが「ラーメン食ってきました。だいぶましになりましたわ」と言いながらご機嫌で帰って来た。なぜうどんを食いに行くと言ってラーメンになったのか、まあそんなことはどうでもいいのだが確かに顔色がよくなっている。さっきどれほど心臓がバクバクしてやばかったかをとくとくと話し始めたが僕はもう聞く気にならなかった。ほんの一瞬でも心配した自分が情けなかったのである。
とにかくそんなしょうもないエピソードをいくつも孕みながら我々の「1984+30、」という展覧会は幕を閉じたのでありました。
その後僕は岡山、東京と二つの個展をやったのだがその話はまた次回以降に。ちなみに今回のテーマナンバーは30だったがその二つの個展のテーマナンバーは27と42であります。ほらほら、面白そうでしょ。乞うご期待!

 

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