「総体的に言って、無意味な人生ですなあ」
ビミョーな間。
「そうなんだよ、最近自分でもそう思うんだよねえ……」
この恐ろしい会話の最初の発言者は僕であり、答えたのは岡山大学文学部の名誉教授であらせらるるOさん。いきさつはこうである。
ある土曜日の午後、僕はグロスカウンターに座ってOさんととりとめのない話をしていた。そこにグロスマスターKが口をはさんだ。
「Oさん、この時間はもうコーヒーは飲めませんか?」
僕はいつもの癖でグイと人の会話に割って入り、Oさんが答えるのを待たずに質問を重ねた。
「コーヒー飲んだら眠れませんか?」
「そうなんですよ」
「でも眠れなかったら起きてる時間が長くてなんか得じゃあないですか?」
「いやぁ、昼は昼でボンヤリしてるし……」
こんな会話の果てが冒頭のやりとりである。
自分のことを棚に上げるのが僕は大好きで僕の棚は今やあれやこれやのがらくたで溢れかえり、今にもドサドサガラガラと過去の罪深い言葉が崩れ落ちそうである。それはともかく突っ込みを入れてしんみりと肯定されると突っ込んだ側が慌てる。
手にした水のコップをじっと眺めながらOさんは独り言のように最近の出来事を語り始めた。なんでも昔の学問仲間が本を出版してその本と共に近況を知らせてくれたらしい。それがずいぶんと若々しく、後進の指導にも活躍しているような内容で、それに比して自分はいったい今まで何をしてきて何のための人生であったのだろうか云々。
やはり男というものはどうしても仕事、及びその成果で自分の人生を測る生き物のようである。現役の間は「クソッ!今に見てろ!」と歯ぎしりしつつも今の劣勢を未来の大逆転妄想に置き換えてなんとか今日をやり過ごせる。でも現役を退いたり退く直前の男というものはOさんみたいにシミジミしがちなのかも知れない。
Kが僕をにらんだ。僕は慌ててとってつけたようにOさんを励ました。
「そんなことないスよ、Oさんの教え子の中にも口には出さねどOさんを一生の師と心に秘めてるのがいるかもしれないし」
いかにもとってつけたようでしらじらしい。更にたちの悪いことに僕はしらじらしいことを承知で人を励ますふりをして人の傷に塩をなすり込むのが好きなのだ。
断っておくがいつもいつもこんな失礼放題の人間ではない。今思い出したがその日はちょうど大阪の個展が終わって帰岡した直後だった。僕は年に一度か二度大阪で仕事をするのだが大阪という街は本当にしんどい。面白いのは確かに日本一面白いけれどこっちのモードを「ボケツッコミモード」に切り替え、心的ボリュームを最大に維持しないと大阪人とのやりとりは成立しない。金土と僕はいつものように「大阪に乗り込んできた大阪人並にオモロイやつ」を演じきりそのままグロスカウンターに座ったのがまずかった。突っ込んだら突っ込み返すかボケてくれるとタカをくくっていたのが失敗だった。
「ホナ、お先にぃー」とそそくさとグロスを後にしたのだが、その後Oさんとグロスで再会した時も元気そうだったしまあいいか。ちなみにOさんはドイツ文学者である。僕はドイツ文学に関しては白紙であるし、Oさんが教えてくれるドイツ、及びドイツ文学の話はとても面白い。少々の僕の失礼、失言には優しく目をつぶって色んなことを教えてくださる。しかもタダで。有り難いことである。
失言でもう一つ思い出した。先日なんの話の中であったかはすっかり忘れたがKがヘンな顔をした。どうヘンなのかは説明がとても難しいのだがとにかくムカツク顔をした。僕は反射的に「なんや、その勝ち誇った負け犬みたいな顔は!」と言ってしまった。Kはしばらくうつむいていた。泣いていたのか笑っていたのかは知らない。考えてみるとどんな間柄であろうと口に出せるような言葉ではない。でも言った瞬間に『なかなか言い得て妙であるなぁ』と自分でも感心してしまった。そうだ、あれは失言じゃあなくて名言だったのだ!