「ニコンD40、あげますよ」
僕は吸いかけのタバコを一旦灰皿でもみ消しグロスマスターKの顔を見た。Kはわざとらしく仕事をするふりをしているが完全に目の焦点がおかしい。
ニコンD40とは僕とKとの共有カメラで、いろんなみっともない逸話をはらんだいわく付きの一眼レフカメラである。
「なんかええもん手に入れたんか」
Kは必死で高笑いだか自慢だか、何かその類いの表情をかみ殺してこっちを見た。完全にいかれている。
「見たいですか」
「見せて」
「本当に見ちゃいますか」
「くどい。見せろ」
Kは雲の上を歩くようにフワフワと秘密の倉庫の中へ入って行った。カウンターの上に置かれたのは少し小振りでいい質感のデジタルカメラと専用の交換レンズ二本だった。
「コーヒーチケットで?」
「現金です!」
このやりとりの意味がよくわからない方の為にご説明申し上げるがKは大抵の欲しいものをコーヒーチケットと交換で手に入れる。僕は半信半疑でKの目を見た。やはり焦点が合っていない。怒っているのか笑っているのか興奮しているのか、とにかくややこしい表情で僕とカメラを交互に見ている。
「ミラーレスです」
今度はきっぱりと得意げに一言宣言した。 もう一度やぼを承知でご説明申し上げるがミラーレスとはカメラのボディーの中に鏡が組み込まれていなくてそのお陰でボディーを薄く小型化できることからこの二年ほどの間に高級デジタルカメラの主流になってきた分野のことであります。
僕はそのあまりにKに似合わない有り難い物体を手に取り電源を入れた。
ファインダーに現れた絵はレンズから鏡を介して見る生の絵ではないのでカメラを振った時にはややタイムラグがあるがデジタル化された絵とは思われぬほど滑らかで現実に自分の目で見ている絵よりむしろ明るい。
「フーン、ところでどんな手を使ったわけ?」
僕のこの至極まっとうで自然な質問をまったく無視してKは居直るようにカメラの自慢話をテキ屋の口上のように語り始めた。
僕はさっき消したタバコにもう一度火をつけ、冷めかけたコーヒーを飲んだ。
Kのブツ自慢が一区切りついたところで僕はもう一度聞いた。
「コーヒーチケットじゃないならどんな手を使ったわけ? どうせハチヤ君なんやろ?」
再びKは僕の質問を毅然と無視し、「いつでもお貸ししますよ」と目もくらむ高所から哀れな物乞いを見下ろすように宣託した。
「ありがとね。ところでハチヤ君からどうやってむしりとったわけ?」
Kはちらと僕をにらみ、『ショーガネェナァ・・・』という表情でしぶしぶいきさつを語り始めた。
「ほら、キャノンの一眼レフがあったでしょ。ハチヤさんが教えに行ってる専門学校の学生がですね、授業に使うカメラを持っていなくってですね……」
なんだかあまりに複雑に込み入った取引らしく僕は途中で理解することを諦め、聞くふりだけしていた。
とにかくかなりボロの古いカメラにいくらか足してこの立派なミラーレスデジタルカメラレンズ三本付きと見事交換に成功したらしいのであった。
「ま、一度使ってみていいですよ。いつでもお貸ししますから」
もうかみ殺すのもすっかり忘れ露骨に得意げな表情でKは再度高所からのたまわれた。
だがこういう時には必ず何かある。僕はこれまでの幾度もの経験から確信に近い警戒心を覚えつつもう一度そのカメラを手に取った。ファインダーをのぞいてグロスの明暗コントラストの強い店内を撮ろうとシャッターボタンを押したがシャッターはおりなかった。
「あ、SDカード入ってないんですよ」
ナルホドね。
「お貸ししますから入れといて下さいよ」
ヤッパリね。
僕はなぜかほとんど尊敬に近いなにかをKに覚え、体中の力を奪われたようにずるずるとグロスカウンターの椅子からずり落ちた。
「あんた、ほんとにスゴイね」
せめてものあてこすりをつぶやきながら僕は家路についた。
ボロキャノン、ミラーレスに化けたる秋の夕暮れ