さて、仙台から帰ってすぐに岡山天満屋で開催中の隠崎隆一の個展を見に行った。カクレさん(昔からそう呼んでいたので)はこの十年以上間違いなく日本で最高の売れっ子の陶芸家の一人だ。彼の人気の凄まじさを物語るエピソードはいくらでもあるが、まあここではそれは省く。カクレさんは大阪芸大を卒業してデザイナーを経験した後備前焼きの作家になった。そしてあれよあれよというまに時代を代表する陶芸家になってしまった。なぜ彼の前にそんなおいしい人生が待ち構えていたのか。そんなことは彼の個展を一度でも見た人は考えもしないはずだ。つまりそれだけの力があり、それだけの仕事をやり遂げる人だった、ということだ。
天満屋五階の美術画廊は僕にとっても馴染みの深い画廊だ。だがカクレさんの個展の一週間だけはそこは見知らぬ空間に変貌する。今回も一歩足を踏み入れた瞬間にそこが異次元のカクレワールドに見事に化けていることを誰もが知ることになる。なんて贅沢なんだろう、と先ずため息をつく。それはたった一週間のためにここまでやるか、という呆れたため息でもあるし、こんな気合いの入った本気の個展をこれから楽しませてもらえるんだという与えられた贅沢への感謝のため息でもある。
スポット以外の照明はほとんど落とされ、その闇の中に作品が浮かび上がっている。彼の前回のここでの個展は13年前だという。今回の個展の意味には当然その13年という歳月がある。その間ずっと風をまともに受けながら走ってきたのだから僕たちは暗闇の中にたたずむ作品に13年分の風の音を聞く。一つ一つの作品に関しては何も言うまい。それは詩の一語一語を解説するように何も伝えることにはならないから。とにかく天満屋画廊の面影も見つけられないほど造り替えられた空間が発している土と炎と隠崎隆一の生命の鳴動を感じない人がいたらアホとしかいいようがない。当然のように作品はほとんど売れていた。残念ながら僕には買うお金がないから買えなかったけど欲しいと思わせてくれる個展は楽しい。そこが美術館で見るのと個展の大きな違いだ。しかもカクレさんの個展は美術館のかなり凝ったディスプレーよりうんとドラマティックなのだ。友達の部屋に呼ばれて遊びに行ったら一流ホテルのスイートより豪華だった、てなもんかな。いや、ちょっと違うか。まあ、とにかく見て得しちゃったなぁと思わせてくれるわけだ。運良く、そして頑張って作品を手に入れた人、おめでとう!確かにあなたの部屋に置いた時と会場で見るのとは印象が違うかも知れない。でもあなたはその一つの作品を見るたびに今回の会場全体をありありと思い出すだろう。その豪勢な記憶を同時に手に入れたのだ。それはいわば素晴らしい詩の一語を所有するようなものだ。その一語は部分ではなくカクレワールドの扉を開ける鍵でもある。ここまで褒めておいてがっかりさせるようだが、隠崎隆一個展は3月15日で終わってしまった。ちなみにあの大がかりな会場の仕掛けはすべて廃棄処分されるらしい。
見損なった人、残念でした。