私のお姉ちゃんの同級生の親戚がジャニーズ事務所に入ったとか、同じ団地の人のお友達が宝くじで一億円当たったとか、よく行くお店のマスターの知り合いが直木賞の最終選考に残ったとか……その手の話はごまんと耳にする。罪もない代わりに「それがどうした?」と言われても返す言葉はすぐには見当たらない。暇つぶしであり、つぶさねばならぬほどこの社会には暇というやつが潤沢に流通しているのだろう、実は。

だが本当に稀に「えっ!」と言ったきり言葉を失うようなその手の話がないわけではない。

高知の個展が終わった。昨年末岡山天満屋の個展があったのだけれどその後あたふたもぞもぞしているうちに次の高知個展が始まり、終わった。

僕は高知という場所が好きだし個展会場であるアトリエ倫加りかの須藤さんという女性が好きなので高知の個展はいつも楽しい。既に二十年ぐらいのお付き合いで、多分十回以上個展をしている。

今高知は龍馬で盛り上がっている。もちろんNHKの大河ドラマ「龍馬伝」の効果だ。歴史上の英雄人気アンケートを行うといつも龍馬がトップらしいし、それを当代一の人気者福山雅治が演じるのだから日本中がなにやら幕末化しているみたいなのも無理はない。ご当地高知ならなおさらであろう。

個展の二日目、僕は須藤さんと龍馬やら福山君の話題で暇をつぶしていた。須藤さんは僕より十ほど先輩の、つまりそこそこのベテランウーマンなのだが、なかなかの現役ミーハーであられて特に若いハンサムには目がないので当然福山君もお気に入りの一人である。先日高知のとある神社で行われたロケにもちゃんと噂を聞きつけてやはり飛んでいったらしい。残念ながら厳戒態勢に阻まれて福山君の麗しきお姿を拝むことは出来なかったらしいが、声だけは聞こえたとか聞こえなかったとか。だがどのホテルに泊まったとかどこの焼鳥屋に現れたとか、かなりの情報は収集されていた。

そんな話のついでみたいに須藤さんは言った。

「でも龍馬さんはあんなにハンサムじゃなかったのよ。小さい頃に水疱瘡を患って頬にその痕があったんだって」

「へえ、そうなんですかあ」

「私のひいおばあちゃんが龍馬さんとお友達で、よく家にも遊びに来てたらしいから」

そこで僕は「えっ!」と言ったきり言葉を失ったわけである。

なんだか歴史ロマンとやらと現実とがぐちゃぐちゃに混じり合い、伝説のスーパーヒーローが口笛吹きながらちらと窓の外を通りがかったような、いったいこの話はなんなんやろかと、理解も受容もできぬまま思考がフリーズしてしまったのだ。

須藤さんの家系は代々長寿の血筋らしくお母様も今98歳だがそのおばあさまである須藤さんのひいおばあちゃんも98歳まで生きられた。当時としては珍しい長寿だったわけだが、小学生だった須藤さんによく龍馬さんの話やら彼が活躍した時代の思い出話をされたようだ。

「あの頃は地獄だった」と繰り返し言われたらしい。

時代が流れ人は経験やら記憶やら伝聞やらを都合よく組み替えて幕末や維新をロマンチックで興味深い時代であったと定着させてしまったが本当にその時代を生きた人にとってはあちこちで人が争い、死に、寄って立つべき地べたが揺れて定まらぬひどい時代だったのかもしれない。特に須藤さんのひいばあちゃんにとっては仲良しの幼なじみが荒れ狂う時代の渦のど真ん中にいて、結局切られて死んだのだからそれはやはり地獄としか見えなかったのだろう。

それにしてもそんな面白い話を二十年以上のお付き合いの中で僕は初めて聞かせてもらった。僕ならきっと初対面の時に鼻高々に言い散らしているに違いない。無理矢理にでも幕末やら龍馬の話に引きずり込んでじっくりとタイミングを計って「どや!」とばかりにぶちかましていたはずである。絶対に。

省みるに僕がグロスカウンターでグロスマスターKと交わす会話はまことに、掛け値抜きで下らない。大半が貧乏話、もしくは知人と自分の恥ずかしい話である。

先日もKがいつもの不可思議な嬉しそうな顔で知人の恥ずかしい話を教えてくれた。それはO君の、おっとっと……一応口止めされてたっけ。やれやれ情けないことこの上(下?)なし。

どこかに龍馬クラスのどでかい人物はいませぬか。このままでは歳をとって若者に聞かせられる話題がないではないか。だが失笑まみれのエピソードでびっしりと人生を埋め尽くしてみるのも、まあこの不景気な時代を生きる者としては悪くないのかなあ。いやはや今日は一段とコーヒーが苦いぜよ。