且つて日本を代表するビッグバンドのシャープアンドフラッツのリーダーであった原信夫はかなりの癇癪持ちであったらしい。バンドのメンバーの演奏が気に入らないとヘタクソだの馬のクソだのと罵倒したあげく最後は「サラリーマン」と低く一言とどめを刺した。

これは多くのサラリーマン諸氏にはまことに不当、不穏当な言葉遣いであると思われるであろう。だがこれは昔、サラリーマンが気楽な稼業であったころのお話である。今のように「自己啓発」だとか「スキルアップ」などと恐ろしい言葉でむち打たれ、燃えるたいまつに追いかけられる厳しい時代のサラリーマンを念頭においてのことではもちろんない。

僕の父もサラリーマンだった。その父を含めた社会の一般的な空気に僕はどうしても馴染めなかった。勉強をして大学に行って普通にサラリーマンになるという生き方が僕には無理なのではないか、とかなり幼い頃から感じていた。それ以前にもっと根本的に僕は他の人と違うのではないか、という獏とした世界からの孤立感みたいなものがずっと僕の中にあった。それは優劣の問題ではなく異分子感とでもいうもので、なんだか間違って場違いなところに紛れ込んでしまった居心地の悪さのようなものだ。パジャマを着てパーティー会場にいるような、あるいは気がついたらタイムトンネルを抜けてお侍の群れの中に飛び込んでしまったような感じ、である。

その感じを具体的に自覚した記憶がいくつかある。

まだ小学校低学年であったと思う。僕はアパートの中庭のような所で友達や少し年上の子供達とコマ回しをしていた。その頃男の子はみんなコマが好きで、コマ同士をぶつけてより長く自分のコマを回し続けることを競っていた。そのコマは本体が木製で芯は金属であった。それぞれ別に売っていて芯をちゃんと中心に打ち込まないと上手く長く回ってくれないし、紐の巻き方、コマの投げ方、それぞれにちゃんとしたこつが必要だった。そのような遊びの技術を子供達はどうやって身につけていたかと言えば多くは自分より年長の者から教わっていた。

実は僕は当時まだ少数者であった「一人っ子」である。だから当然兄も姉もいないし転勤族であったから従兄弟のような年長の血族もいない。そして同じ地域に住んでいる年長の子供に教えを請うようなかわいらしさもなかったので僕は遊ぶのに必要な技はみんな自分で練習して身につけた。そしていざ本番のコマ合戦に挑んでみたところ驚いたことに僕だけ回し方が違っていて他の子と反対回転であったのだ。

コマに限らず野球のカーブの投げ方ノックの仕方、サッカーのリフティングの仕方、あるいは数学の問題の解き方、そんな遊びに限らず何か新しいハードルを越えなければならない場面で僕はことごとく他の者と違う方法で臨むことになった。結果的には他の子となんとか伍することができたから仲間外れになることも劣等感に悩むこともなかったけれどどうしていつも自分のやりかたが他と違うのかを感じつつ大人になった。その結果がこれである。

もう一つ僕が小さいときから他の子と全然違うと感じていたことは僕の名前である。

漢字で書けば矢野太昭の四文字でとりたてて変わった読めないような文字は含まれていない。だが読みはヤノタイアキである。どこにタイアキなんて名前があろうか。もちろん僕が生まれた時にはすでにこの世に鯛焼きという食べ物は存在していた。だから誰もが僕の名前を聞くと「タイヤキ」と間違う。そしてそんなはずはないよな、と思うから聞き直す。僕は口を大きく開けて「タ・イ・・キ」と特にアを強調して言い直す。

最近は随分変わった名前の子が多い。だがその親がこれはかっこいい、とそれなりに考えてつけたんだろうと想像はできる類いの名前である。アニメの主人公の名前、出典はわからないがとにかく音の響きが外国的であったり、まあその親の文化背景なりのかっこよさを狙ったものではある。ところでウインタースポーツやレーサーなどのスピード系の選手に変わった名前が多いのはどうしてかなあ。まあいいけど。

だがタイアキはなぜなのだろう。子供の頃に一度父親に尋ねたことがあるような気がするが答えは覚えていない。たぶんうやむやにされたかその答えに僕が納得しなかったかであろう。そのうちに父は早く亡くなってしまったから謎のままである。

子供が自分という存在を認識する最初の社会性は自分の名前ではないか。いつもいつもその音で呼びかけられてその回りに自我という衣装を重ね着しながら自分という人間を形成していく。逆にその衣装を一枚一枚はぎ取っていくと裸の自分、つまり名前が残る。僕の場合はそれがタイアキだった。自分がどうも他の子とは違うのではと思わせるに十分な名前ではなかろうか。

名前というものに僕は結構こだわりがある。僕自身の名前はまあこれ以上考えてもしょうがない。好きも嫌いもなく僕がこの世に存在し始めた時に組み込まれた僕自身の仕組みの一部なので客観視することが出来ない。もし違う名前だったらと考えることもない。だが例えば店の名前だとかペットの名前だとか自由に選べるような場合に語感の汚い、あるいは浅はかな名前をつける人には違和感を感じてしまう。基本的なコミュニケーションが無理かな,と思ってしまう。

最近僕は一匹の猫に名前を付けた。これはその猫に断りもなく勝手につけたのでその名前を呼んでも猫は知らん顔である。その名前は「にしなてっぺい」という。漢字で書くと「仁科鉄平」である。僕が時々立ち寄るニシナというスーパーマーケットの駐車場をよくうろうろしていて、その一角にあるてっぺいというお好み焼き屋さんで時々えさをもらっている貧相な黒猫だ。仁科鉄平君は100台ほどとめられる広い駐車場をとぼとぼと散歩してどこであろうとごろんと転がってくつろいでいる。僕が車から降りて「おいで」というと「やれやれ」といった感じで起き上がって一応僕のそばに来てくれる。耳の辺りや喉の辺りをカリカリしてやると「ニャー」と鳴いてまたごろんと転がる。およそ仁科鉄平という勇ましい名前は似合わないので僕は直接呼びかける時には「コジジ」と呼ぶ。これは僕の友達が飼っている大きな黒猫が「ジジ」なので「小ジジ」なのだ。このコジジこと仁科鉄平君は一応てっぺいでえさを貰ってはいるが基本的には野良猫である。ノラはあちこちでいろんな名前で呼ばれる。そういえばかの大きな黒猫のジジは岡山にやって来るまでは愛媛の宇和島でパー君(パー君!)と呼ばれていたが今はジジと呼ばれることに何の抵抗もなさそうである。ちなみにジジと同居しているハンサムなキジ猫のココはかつて香川の直島でチビと呼ばれていた。それは当時はかないほど痩せて小さかったから当然のようにみんながそう呼んでいたのも無理はない。

とにかく猫達は自分がどういう名前であるかを僕みたいにややこしく考えたりしない。その日その日をより快適に生き、生き延びることに集中している。どうも人が猫より偉いとは僕には思えないのである。

ところでglossという名前の由来を僕はグロスマスターKに聞いたことがない。辞書で調べると「光り輝く」という意味だそうな。インターネットでglossを検索すると我らがグロスさんは五番目にヒットした。ちなみに一番は眼鏡屋さん。二番目は「お水、キャバクラ、キャバ嬢、キャバドレス専門ドレス通販ショップgloss」とあった。これは是非姉妹店縁組みをすべきではないか。ワオッ。