電話の向こうから久しぶりの声が聞こえた。
「イクコですー」
文字にイントネーションが付けられないのが残念だがあえて言えばクにアクセントがある。いくこさんは僕が二年に一度個展をしている倉敷のギャラリー「工房イクコ」のオーナーであるが本来は「IKUKO」というアパレルの会社を起こした実業家で今は社長をお嬢さんに任せていくこさんは会長でありほとんどは東京生活だ。電話の内容は備前の作家の隠崎隆一さんが日本伝統工芸展の文部科学大臣賞を受賞したのでそのお祝いをするから来ないかというお誘いだった。それに合わせて倉敷に帰ってきていくこさんの自宅に親しい人を招いて楽しいパーティーにしたいと言う。日頃パーティーというものが大の苦手でほとんど出席しないのだがいくこさんのご自宅は行ったことないし隠れさん、奥さんの章子さん、いくこさんにも会いたかったから喜んで行かせていただくことにした。
当日、一緒に誘ってもらったNと15分ほど遅れてイクコ邸に着いた。それは想像通り素晴らしい建築物で斜面を活かした複雑な構造のコンクリート打ちっぱなしの大きな邸宅だった。階段も渡り廊下も壁も床もコンクリートだが開口部は大きなガラス窓なので閉塞感はなく全く個人の住宅には見えない。工房イクコの店長のケンちゃんに案内されてパーティー会場の地下に降りると他の方はもう席について和やかに会話を楽しんでおられた。案内された席に着くと隣は金工作家の佐古君で向かいは陶芸家の内田剛一さんだった。内田さんはとても若い時から作家活動をしてきたので僕より随分若いのだが僕が自分の個展をするようになってからしばらくするといろんなギャラリーで評判を聞くことがよくあったし作品もいろんなところで見て知っていたがお目にかかるのは初めてだった。お互い自己紹介をするわけでもなくチラチラとその風態を拝見していたらこの感じは昔どこかで感じたものにそっくりだなぁと思うのだが思い出せないままパーティーが始まった。乾杯の後イタリアンシェフの有薗さんの料理が運ばれオードブルのブルスケッタを口に入れバケットがサクッと口の中で崩れた瞬間に思い出した。
僕はこのエッセーにも断片的に何度か書いたことがあるが学生生活の最後の2年半ほどはバンド稼業で収入を得ていた。その変遷に関しては詳しく書いたことがない(とても恥ずかしい変遷なので)が成り行き上今回白状してしまおう。
一番初めはギター一本の演奏でそれは二週間ほどで辞めすぐにキャバレーのカルテット、その後はピアノ、ベース、ギターのトリオ、そのピアノが辞めてベースと僕のギターになったのだがその時から僕はボーカルも担当するはめになる。謙遜でもなんでもなく僕は歌なんて全く自信もないし好きでもないのだがその店の方針で若者向けの歌を歌えということであった。ベースのTさんのサポートでギターを弾きながら当時の流行り歌(主にフォークやポップス)を毎日30分ずつ4ステージ歌うことになった。しばらくしてベースのTさんも辞めてしまい(そら辞めたくなるよなあ)とうとう僕はバンドマンと言いながらもギターの弾き語りに転げ落ちていったわけであるが僕はもうどうとでもなれや、ギャラをいただけるなら裸踊りでもしまっせという愚かな腹を括って毎日盛大な恥をかき捨てていた。
その店では時々僕達場末の若者以外にちゃんとした(要するにレコードを既に出しているという意味)ミュージシャンの演奏もあった。その中の一人に少し前に「わかってください」というヒット曲を出した因幡晃さんがいた。僕と因幡さんが交互にステージを務め、終わってからどういう経緯だったか忘れたけれど一緒に近くの食堂でチャンポンを食べた。その無言でチャンポンを啜る大きな顔の大男の記憶と今目の前にいる内田剛一さんのイメージが重なっていたのだ。
どうして重なるのかを運ばれてきたリゾットを食べながらつらつらと検証、分析した。
とにかく存在感がでっかいのである。事実顔も体も大きい。半分閉じたような目はどこも見ていないようであり何かここで起きていること以外のことを考え続けているように見える。無口で岩のような男。この男をやっつけるには刃物やピストルではなくダイナマイトが必要だろう(事実因幡さんは歌手になる前は鉱山技師だったらしい)。
僕は次に運ばれてきたパスタを食べながら妙なデジャビュ感と親しみを内田さんに感じ始めていた。その後共通のギャラリーや人のことなどを話し始めてみるととても面白味のある方であるのがわかってきた。
内田さんの作品は皆さんご存知だろうと思うが白い陶器が多い。あと鉄の作品もよく見るが実家が鉄工所をされているので扱いやすく慣れた素材なのだろう。この大きくて無骨な存在感とは裏腹に作品はとてもセンスがいい。僕達の世界でいうセンスとはデザインやファッションの世界のセンスとはちょっと違うニュアンスで使うことが多いのだがそれは素材の物凄く微妙な表情の変化に対して敏感といった意味だ。陶器の白、鉄のサビの色、そういう一見単調に見える色の中に現れる瞬間の美、それを理解していて見逃さず作品にとどめることができる、それこそ内田剛一さんの魅力ではないだろうか。
さて、今回はオチがないんかいなというブーイングにお答えしてその楽しかったパーティーのオチを一席。
一応パーティーが9時半ごろにお開きになり関西から来られていた方々を倉敷駅まで、車で来ていた僕とNとを車を置いてきた場所までケンちゃんが送ってくれることになった。皆さんに見送られてエントランスを抜け橋のようになっている渡り廊下の先にある道路へ降りている階段を降り始めたら僕の足が着地するところにあるはずの最初の階段がなかった。どういうことかというとそのコンクリートの階段は両側の二枚のコンクリートの壁に挟まれているのだが実は片方が壁に接していなくてそこの40cmほどの隙間から僕は落ちたのである。何がどうなったのかわからぬまま僕は落下し、転がって「おや?」と思っていると姫路から来られていた紳士が助け起こしてくれた。Nはいつもより一オクターブ高い声で「ダイジョウブ?ダイジョウブ?」とエンドレスで連呼している。紳士は「頭は大丈夫ですか?」と頭の辺りを見ている。立ち上がって自分でもあちこち触って確かめてみたがどこにも傷はないし特に痛いところもない。後から隠れさんも来て心配してくれるが「どうもないよ」というと訝しげな顔をしつつも安心してくれた。でもよく交通事故に遭った人がその時は平気なのに次の日にコロリといったりすることも聞くしNは僕の言うことには耳を貸さずこれはもうとんでもないことになったと決めつけている。「ダイジョーブ、ダイジョーブ」を何回繰り返したかもわからぬままとにかく無事に自分の車でNを送り僕は我が家に帰り着いた。
翌朝隠れさんが心配して電話をくれた。
「どう?」
「膝をちょっと擦りむいただけでほぼ無傷」と言うとかなり間を置いて
「信じられんなあ」と言う。
信じてもらえなくても本当なんだからしょうがない。でもつい自慢したくなった。
「すごいでしょ」
「まあ、すごいけど・・・」
「これはもう語り継いでもらわんと」
「まあ、語り継ぐけど・・・」
どうも受け入れ難いようである。
いくこさんの耳には入れたくなかったのだがどうも隠れさんがチクったみたいで何度もメールをくれた。こんなアホなことで皆さんにご心配をかけて誠に誠に申し訳無くお恥ずかしい限り。
とにかくあれから4日経つが今のところコロリといってもない。自慢する相手もいないので猫のももちゃんに「おっちゃん、不死身なんやで」と言うといつもより大きくて長い欠伸をされた。
落語には考えオチ、仕草オチ、仕込みオチなど色々あるが今回の僕の落下はさしずめ逆さオチか間抜けオチ辺りであろう。とにかくとても上手くオチたのは間違いないようですな。お後がよろしいようで。